| 本丸 |
| 本丸御殿を擁する江戸城並びに徳川家、江戸幕府の中心。 |
| 二ノ丸 |
| 本丸と同じく入国時に三ノ丸の間にあった空堀を埋めている。 |
| 元は本丸の帯曲輪の様な存在であったが寛永期に拡張されて二ノ丸御殿が造られる |
| 三ノ丸 |
| 内郭に組み込まれ小さな御殿と勘定所以外は空地となり登城大名の家臣の控え場になる。 |
| 西ノ丸 |
| 創建された当時は、新城、新丸、御隠居城、御隠居曲輪などといった。 |
| 紅葉山 |
| 本丸と西丸の間にある高地で、江戸城内で最も高い場所。 |
| その後は東照宮や各将軍の霊廟が造営され、また麓には具足蔵・鉄砲蔵・屏風蔵・書物蔵があった。 |
| 北の丸 |
| 現、武道館のある付近はかっては関東代官であった内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれた場所である。 |
| 徳川氏の御三卿であった田安徳川家が1731年に、清水徳川家が1759年に上屋敷を構えるようになった。 |
| 吹上御苑 |
| 江戸城築城後には番衆・代官衆や清洲藩の松平忠吉の屋敷地があり、その後は徳川御三家の大名屋敷が建築された。 |
| 1657年(明暦3年)1月明暦の大火で全焼し、火除け地として日本庭園が整備される運びとなった。 |
| 明治維新では一時荒廃したが、江戸城に天皇が居住するようになると、庭園が再建され、さらにゴルフ場も建設された。 |
| 吹上御苑の転機となるのは1937年で、昭和天皇がゴルフ場の使用を止め、自然のまま残すように希望したため、 |
| 以後森林が形成された。 |
| 主な建物として、昭和天皇、香淳皇后の御所であった「吹上大宮御所」、現在の天皇・皇后の住居である |
| 「御所」、「宮中三殿」などがある。 |
| 天守 |
| 徳川家康の改築以降、本丸の天守は慶長度(1607年)・元和度(1623年)・寛永度(1638年)と三度築かれている。 |
| どの天守も鯱や破風の飾り板を金の延板で飾っていた。 |
| 慶長度天守 |
| 1606年(慶長11年)にまず自然石6間、切石2間の高さ8間の天守台が黒田長政によって築かれた。 |
| この天守は秀忠によって解体され新たに造り直されている。 |
| 元和度天守 |
| 元和度天守は、1622年(元和8年)から翌年にかけて天守台普請とその上屋(天守)の作事が行われた。 |
| 位置は本丸東北の梅林坂にあった徳川忠長屋敷を破却し、その跡地に建てた、もしくは寛永度天守と同じ位置とされる。 |
| 元和度天守も秀忠の死後に家光によって解体され造り直されている。 |
| 寛永度天守 |
| 寛永度天守は1636年(寛永13年)から翌年にかけて天守台・天守双方が完成している。 |
| 黒田忠之・浅野光晟が築いた天守台の位置は本丸北西の北桔橋門南、規模は元和度を踏襲している。 |
| 構造は5重5階(地階を含めれば6階)の独立式層塔型で壁面は黒色になるよう塗料もしくは表面加工が |
| 施された銅板を張り、屋根は銅瓦葺である。高さは元和度と同じ本丸地上から天守台を含む30間、 |
| 下総からも眺望ができたという。 |